2017年5月26日金曜日

問題です。

自分だけが普通。
周りのやつらはみんな普通じゃない。
マジ,自分だけが普通。

・・・と思っている人ほど,実際は
普通ではない可能性が高いことを証明せよ。





まず聞きたい。「普通」ってなに?

おそらく,社会通念的に「普通」とは
「常識内の行動を取る・基準内である」ということだと思う。

じゃあ,「常識」とか「基準」ってなに?

さあ,これが問題だ。

それらは,「周りのみんながそうなんだもーん」
ということだと思う。

周りのみんながそうであれば,
それが常識や基準であって,それが普通になるのだと思う。


実際,高校のとき,40人クラスの38人くらいが
私も含め,ボンタンという,
昔のヤンキーがはくズボンをはいていた。
別にヤンキーだったわけではない。
周りのみんながはいていたから自分もはいていた。
(ちなみに,普通科5クラス中
 たった1クラスだけあった男子クラスだ。
 他の組は共学クラスなのに,
 たった1クラスだけあった男子クラスだったよ,ボクは。)


そして,ある日,まじめなズボンをはいていた2人が
職員室に呼び出された。

「お前ら2人,なんでそんなズボンはいてるんだ?
 今週中にまともなズボンに変えてこないと
 厳しめの指導をすることになる」

と,先生から叱られたことがあった。

うちのクラスで2人だけが標準のズボンをはいていたのに,
周りのみんなと違った彼らの方が,
「普通じゃない」と判断されたのだ。


さて,この実話を通して言いたかったことは,
「普通」は「正しい」とは限らないってこと。
そして,「普通」は周りの声と共に
いつでも「変わりうる」ってこと。


例えば,銃を持つのは普通じゃない・・・日本では。
でも,海外ではどうだろうか?


常識とか普通って,便利だけど,
実は実態がない言葉なんだよね。


自分だけが普通。
周りのやつらはみんな普通じゃない。
マジ,自分だけが普通。

・・・と思っている人ほど,実際は
普通ではない可能性が高いことを証明できただろうか?


そして,だからこそ実際は,そんなことは
どうでもいいことにも気付いただろうか?

普通だとか,普通じゃないとかどうでもいい。

そんなことは問題にならない。
周りの「普通」に流されず
自分が正しいと信じた道を,
まっすぐに進んで行こう。