2011年3月19日土曜日

『やりたいこと』と『できること』

震災から1週間が経過しました。

震災当日と翌日。
あまりにショックが大きかったのでしょうか。
心配はしていた記憶があるのですが,
常に平常心を保っていました。

震災3日目。
徐々に事態を受け入れ始めたのか,
急に恐怖心が大きくなり始めました。

震災4日目,5日目。
親兄弟と合流し,ある意味で少しは安心できたはずなのに,
恐怖心は増すばかりで,思ったことが言葉にできなくなりました。
あまりに多くのことが同時に起こりすぎて,
処理ができなくなったのかもしれません。
(中止になった新百合ヶ丘校の公開授業があったとしても,
 お邪魔できなかったかもしれません)

震災5日目23時過ぎ,
ずっと連絡が取れなかった田舎の友人の1人から
携帯に電話がかかってきました。

よかった,生きててくれた。

すぐに電話を取り,お互いの無事を喜びました。

しかしその頃は,ご存知のように,すでに原発事故の規模は拡大し,
私の実家がある場所は退去しなければならない区域に入っていました。

しかし,彼はまだ,その地域に残っています。

私は言いました。
「お願いだから,逃げて欲しい」と。

彼は言いました。
「うちは医者だから,逃げられないで
 地元に残っている患者がいる限りは逃げないよ。
 できることをやるしかないからさ。」

思ったことがうまく言葉にできない症状もあったせいか,
涙ばかり出てきて何も言うことができませんでした。

彼は,電話を切る間際に,
力のこもった声で言いました。
「ひでき,生きてまた会おう。」



彼は,死を覚悟して地元に残った。
俺は勝手にそう思ってました。
でも,違った。
彼は,生きようとしている。
彼は,生きようとしている人を生かそうとしているんだ。


彼だって,心のどこかでは「逃げたい」と思っているとおもう。
でも,それは,彼にはできないことなんだ。
だから,彼は自分ができることを,ただ懸命にやっているんだと。


俺はこの2日間何をしていたんだろう。
ただ恐がって,実際に被害にあわれた方々の
何万分の1の恐怖も味わっていないくせに。
俺は何をしていたんだろう。


「自分がしたいこと」と「自分ができること」は常にイコールではない。
俺は,今すぐにでも,友人を助けに行きたいし,
まだ見つかってない友人や親戚を探しに行きたい。
でも,それは,今の俺にはできないことなんだ。
道も崩れ,ガソリンもなく,退去命令が出ている区域にさえなっている。


だったら,俺ができることは何だろう。
授業を通して,今後あってはならないことだけど,
万が一,もう一度このような災害が起こったときに,
適切な指示を出すことができ,
被害を最小限に食い止めることができるような,
そういう素晴らしい人財を1人でも多く。

そんな人たちが育つキッカケになることなんじゃないだろうか。


そのことは,「今自分がしたいこと」とは違うけれども,
「今できることをすること」が,結果として,
「今自分がしたいこと」にかなり近づくんじゃないだろうか。


そう思い,そう決意すると,
いつものように,話ができるようになっていました。


俺はいつも助けられてばかりだ。
俺はいつもなさけない。
俺はいつもなんでこんなに役に立たないんだろう。


だから,決めたんだ。
俺は,自分でできることをただがむしゃらにやっていくと。
それは,今,自分がやりたいことではないかもしれないけれど,
結果として,やりたいことにきっとつながることだから。


俺はいつも助けられてばかりだ。


だから,今度は,俺が助けるからな。
だから,待っててな。


生きて,また会おう。





このブログを読んでくれている学生のみんな。
みんなも,自分のやりたいことと,自分ができることは,
いつもイコールじゃないかもしれない。

でも,よく考えてみて。
自分ができることの先に,
自分のやりたいことはつながってないかな。

自分ができることをしっかりやって,
大変な時期だからこそ,1歩でも先へ進む。
それが,命ある者たちの義務だと,俺は思います。

お願いします。
時間を無駄にしないで下さい。

お願いします。