2014年3月10日月曜日

たまには(?)まじめなことも書いてみる。

※今回の内容は独断と偏見が満ちているかもしれません。


古今東西,
教育の改革,
特に英語教育の改革については
熱い議論がもたらされ
教育の現場はもちろん,
特に生徒や保護者の皆様は
情報に翻弄されている方も少なくないことと思われる。


しかし,教育,
特に英語(語学)教育においては,
試験がどのように変化しようとも
やるべきことは大きく変わるはずもなく
今までと同じことをやればいいのだと私は思う。


1:語彙の追求
  →単語帳だけで英単語を習得することは不可
   目にする英文の知らない単語もドンドン覚える。

2:基礎文法の習得
  →例外の少ない基本部分,言い換えれば
   世界中で共通している構造部分はしっかり習得。

3:音源を使用した音読学習
  →言葉=音を意識しない音読は
   音を意識しない音楽と一緒(つまり,音楽にならない)。

4:英語環境の日常化
  →英語が勉強ではないことを体がわからないうちは
   きっと「苦手」という本来はあり得ない意識が生まれる。
   国語が苦手な人でも日常生活で「日本語が苦手」
   とは言わないように,言葉としての英語は苦手にはならない。

5:アウトプットの時間増加
  →机に座って黙々と鉛筆を動かすだけでは
   「言葉」は育ってくれない。
   ちまたの日本語でさえ「正しい日本語」とは
   かけ離れているという現実が少なくない。
   英語も誤用など気にせず使い,
   とにかく体で覚えるべきものである。


入試や試験も素晴らしいものに日進月歩で進化しつつあるが,
進化した先でも新たな問題が浮上することはいわずもがなである。


なぜなら,世の中は諸行無常(常に変化しているもの)であり
「これでいい」という完成形は,ほんの少し時間をおけば
「時代遅れ」となってしまうからだ。


今の入試は問題だらけだと指摘を受けているが,
今の入試ができあがったときはあれでよかったという歴史※からも,
英語の試験は今後も時代に即して変化して行くであろうことは
想像に難しくない。
(※簡単に説明すると,
 戦後,とにかく世界の知識を吸収したかった日本は
 「英文が読める」ことに重きを置いた学習をしたかったのだ。
 世界中の書物を読んで,日本に知恵と技術をもたらしたかったのだろう。)


「どの時代にどんな力がもとめられるのか」は
残念ながらその時代時代で変化するものであり,
現在を生きる我々にそれを知るすべはない。


だからこそ,基本的な力がつくまでは
「○○対策」などという学習ではなく
根本的な力を形成する学習が必要となるのは言うまでもない。


「こんな時代に,英語の学習は何をすればいいのか?」
その答えは,我々はずっと以前から持ち合わせているはずである。


その大昔から存在する答えだけが,
未来にも通じる唯一無二の学習法であり
未来に置いても真実であり続けるものであると
信じて今日から心をあらたに取り組んで欲しいと切に願う。


私も,基本に忠実に,心を新たに,
本日よりまた頑張っていきたい。