世の中,生きていれば
日々色々な出来事に直面する。
そんな中,
いたずらに悩んで
時間を費やす人を見かけたりするわけだが
個人的な意見として,
それはかなり時間がもったいないと思う。
勘違いして欲しくないのは,
「深く考えるな」
という話をしているのではないということだ。
これも個人的な意見だが,
「考える」という行為は
自分の経験や知識から
何らかの答えを出す,または出そうとする行為であり
その行為は実に意味深く
無くてはならないものだと思う。
一方で「悩む」という行為は
自分の経験や知識から
何の答えも導き出せないときに行われる行為であり
今の自分の経験や知識から答えが出せない以上
その行為に費やす時間は無駄だと言えよう。
事実,悩んだ末に出した結論など
ろくなものではないことが多い。←ヒデキの経験談
悩んでいても今の自分では答えが出せないなら
答えが出せる自分になれるように
すぐに行動を開始し,
経験を積み,知識を蓄えるべきである。
では,「深く考える」という行為と
「悩む」という行為は具体的に
何が違うのだろうか?
日本語ではなかなか区別しがたい場合もあるが,
その答えは,実は英語の表現が教えてくれている。
「考える」は「think」
「熟考する」は「think over」
のように,thinkが用いられ,
能動態[主語がする立場]である。
一方で,「悩む」は
「be troubled」←トラブルに巻き込まれている感じ
「be worried」←心配事に巻き込まれている感じ
などの受動態[主語がされる立場]が用いられるか
「suffer from」←苦しんでいる感じ
のようなマイナスイメージの表現を使う。
あくまで私の意見だが,
自分がプラスの気持ちで能動的なものが「深く考える」という行為。
自分がマイナスの気持ちで受動的なものが「悩む」という行為
なのではないかと思う。
ある出来事に直面したとき,
自分が「深く考えている」のか「悩んでいる」のか。
そこを見極めて,必要があれば
気持ちを切りかえることが重要だ。
『じっくり考えろ。でも,悩むな。行動せよ。』
私は,そう言いたい。
※「悩みがある」という相談を受けたので,
・同じ「悩み」を抱える方への,私なりの解答です。
・個人的に「悩み」は時間の無駄だとしか思っていませんので
・「悩み相談」は私にはしないでね(えへっ&はーと)
・・・・・・・・・・・・・・・・↑
・同じ答えか冷たい答えしかかえってこないぞ(うふっ&はーと)